旭川神社が明治26年に鎮座していらいの由緒についてご紹介いたします。
明治
25年(1892) | 旭川屯田400戸が入植。屯田中隊事業として村社建設を決議 |
26年(1893) | 天照大神と共に、木花開耶姫命を祭神として本殿を造営し、村名をとり旭川神社と称した。お祭り日は、丁度屯田移住完了した8月15日を記念日として爾来例祭日としている。 |
30年(1897) | 拝殿、社務所を建設。境内を屯田練兵場地続きの風防林に定めた。 |
31年(1898) | 北海道庁より創立を許可され、屯田兵の招きにより愛媛県より初代専任神職として、芦原伊佐男が着任した。 |
32年(1899) |
御祭神の天照大神を正式に天照皇大神宮(伊勢神宮)より奉斉することになり、屯田第3中隊長菊池直人大尉が伊勢神宮に参拝。屯田開拓の事情を述べて御分霊奉斉を懇願した。このときは御分霊の奉斎は一切許されぬというときであったが、我が国北辺の防衛と北海道開拓の重責を担って酷寒の地で辛苦を重ねている屯田兵やその家族達の実情を懇々と説明したところ特別に許可され、御神璽を奉じて帰道。御分霊は4月27日に到着し、28日午後三時旭川神社本殿に奉遷。4月30日に遷座祭を斎行した。伊勢神宮での御分霊の祭儀のとき神官から、これは特別なお取りはからいであるが、御分霊があなたの故郷へ御入りになるときは必ず何かの異変が起こるから、お心に留めておかれるように、といわれたのである。4月28日供奉する氏子一同と共に兵村境界にいたるや、突然の激しい雨にあい避けるに人家なく午後3時神社へ奉遷すると同時に雨は止みその日の深夜村中にドーンという原因不明の大音響が響き渡り、村民等しく御神威に打たれた。 |
44年(1911) | 村社に列せられた。 |
大正
02年 | 道庁令を以って、神饌幣帛供進神社に指定された。 |
11年 | 郷社に列せられた。 |
昭和
03年 | 8月13日昭和の御造営完成本殿(神明造)4坪。幣殿・拝殿付属施設(神明造)49坪合計53坪(174u) |
16年 | 開村50周年記念として、社務所建築 |
28年 | 終戦後の宗教法人法により宗教法人となる |
43年 | 道内一の高さを誇る、開道百年大鳥居(鉄鋼製)が完成。 高さ12.45m |
63年 | 新社務所完成(鉄骨建材造256坪) |
平成
04年 | 10月14日、神社本庁より献幣使を迎え、御鎮座100周年記念奉祝祭斎行、同記念式典、祝賀会を開催した。また、これに先立ち記念事業を実施。社殿改修・第二鳥居改築・舞台(車庫併設)他境内整備事業そして、鎮座百年史を出版、関係者に配布した。 |
14年 | 御鎮座110周年記念事業として、社殿改修工事並びに宝物である屯田兵ゆかりの大神輿の解体修繕を実施した。 |
24年 | 御鎮座120周年記念事業として、神楽殿神輿殿の改築と社殿内装工事(拡張工事含む)を実施した。10月21日神社本庁より献幣使を迎え、記念奉祝大祭を斎行した。 |