恒例となっております年末の社殿清掃を有志の方々によりご奉仕頂きました。
お陰様で清々しく新年をむかえる事ができます。
又、神社社殿にAirdog(高性能空気清浄機)を設置致しました。
ウイルスの除去に対して効果が高いとされる空気清浄機となり、今まで以上にご安心頂けるかと思います。
尚、厄祓(やくばらい)の期間は受付と待合の部屋にも同機械を設置します。
段々と雪が多くなって参りました。年末に向けてお気をつけてお過ごし下さい。
〈権〉
恒例となっております年末の社殿清掃を有志の方々によりご奉仕頂きました。
お陰様で清々しく新年をむかえる事ができます。
又、神社社殿にAirdog(高性能空気清浄機)を設置致しました。
ウイルスの除去に対して効果が高いとされる空気清浄機となり、今まで以上にご安心頂けるかと思います。
尚、厄祓(やくばらい)の期間は受付と待合の部屋にも同機械を設置します。
段々と雪が多くなって参りました。年末に向けてお気をつけてお過ごし下さい。
〈権〉
去る11月23日は勤労感謝の日。昭和23年に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。
もとは新嘗祭(にいなめさい)という宮中でのお祭りの日であり、天皇陛下が御自ら五穀の新穀を天神地祇{てんしんちぎ(天つ神と国つ神。すべての神々)に進め、また 御自らこれを食して、その年の収穫に感謝するという宮中祭祀の中でも最も重要な祭事。神様も天皇陛下もこの時に初めて新米をお召し上がりになります。
我々神職もこの新嘗祭を奉仕するまではその年の新穀は口にしません。
この新嘗祭は宮中だけでなく全国の神社でも斎行します。
当社も新嘗祭を斎行。神饌田にて収穫された新穀と氏子崇敬者より奉納された新穀をお供えし、氏子総代、神社委員を始め、農事に関わる公職者が参列する中、厳粛に斎行致しました。
そして今回の新嘗祭で初めて白酒しろき「北の新嘗」をお供えしました。これは北海道神社庁4区教化委員会の事業で北海道の地元の新米を使って醸造されたものです。今まで道産新米の白酒はありませんでした。
祭儀の中では当社橘会による「大黒舞」が奉納されました。
祭儀の終了後には永年総代としてご奉仕いただいております三名の総代さんと11年お勤めいただいた敬神婦人会会長に道神社庁上川支部長名の感謝状を伝達いたしました。
永年ご奉仕賜りありがとうございます。
〈祢〉
青い空がどこまでも続く島。硫黄島
今も尚、この島には一万柱以上の遺骨が本土に帰ることなく眠っている。
ここも時を止めたまま。
去る11月17日 公益社団法人日本青年会議所関東地区協議会と一般財団法人日本文化興隆財団との共催による硫黄島訪島事業が行われ、青年神職の全国組織である神道青年全国協議会役員も数名参加させていただきました。
当日早朝埼玉県入間市にある航空自衛隊入間基地から自衛隊輸送機にて約2時間かけて硫黄島へ渡島。海上自衛隊硫黄島航空基地にて昼食をとりマイクロバスにて島内視察へ出発。
硫黄島戦没者の碑において慰霊行事を行い、献花または戦時中、水の確保に苦労した英霊の御霊を慰めるため慰霊碑に水をかけ感謝の誠を捧げました。
その後島内を視察。司令部壕や摺鉢山、米軍上陸海岸等を巡り硫黄島基地に戻りました。視察した中でも海軍医務科壕は中に入ると奥に行くにつれ地熱からくる暑さで息苦しさを覚えるほどでした。無くなった英霊たちの無念の想いが静かに、それでいて力強く心に語りかけてくるような気がしました。
1日も早く遺骨が収集されることを願い、そして鎮魂の心をいつまでも伝えていくことが私たちの責務であると肌で感じ、再認識しました。
先の戦争をめぐる歴史認識については人それぞれだが、
祖国を守るために必死に戦い、散華された英霊たちによって今の平和な日本があることを決して忘れてはならない。
〈祢〉
<権>
去る10月17日午後7時より、神札撤下祭を斎行。
当社では神棚の御神札は社頭に出す前に本殿外陣(神様が鎮まるお部屋の前室)に全て納め、1週間毎日御祈願を斎行します。その御祈願を終えると、本殿より撤下するのですが、毎年御奉仕頂いている有志の皆様にお集まり頂き、白丁(白い装束)を着て頂きます。そして、境内の明かりという明かりを全て消し、真っ暗の浄暗の中、本殿から御神札を納めた唐櫃(からひつ:木の箱)を担いで社務所まで撤下します。
天照皇大神宮(伊勢神宮の御神札:通称 お伊勢さん)の御神札は伊勢神宮で御祈願をうけ全国各社に送られます。
これから年末に向け、このお伊勢さんの御神札と旭川神社の御神札は各町内会や社頭を通じて頒布されます。ちなみに御神札 御守に 「売る・買う」という言葉は使いません
「授与する」「頒布する」 お守りを「お受けする」と言います
神棚の御神札は天照皇大神宮と地域の神社の御札をまつるのが正式な形です。
〈祢〉
去る10月15日、バレーボールVリーグ男子2部のヴォレアス北海道様の2021−22シーズンの必勝祈願祭を斎行しました。
選手とスタッフらが30日のチーム開幕初戦(旭川市道北アークス大雪アリーナ)を前に参拝されました。
昨年もV2リーグ2位ということで、惜しくもV1リーグに昇格できませんでした。
今年こそはV1昇格してほしいですね!!みんなで応援しましょう!
〈祢〉
9月10日は旭山動物園がある旭山中腹に鎮座する 旭山稲荷金刀比羅神社の秋祭の日。
秋祭りは秋の収穫を神に感謝する祭り。
今回は緊急事態宣言下ということで神職と役員数名にて奉仕いたしました。
普段は当日準備ですが、今回は当日の人数の関係で事前に行う事になりました。
朝から社殿の掃除、のぼり立てを終え、休憩していると会話の中で「ここをきれいにしたい」「ここを塗りたい」など改善したいことを話していく中で、「よし!今日やろう!」ということになり、三人で昼から作業をすることになりました。
化粧砂利敷き等、結構ハードな作業となりましたが、境内きれいになりました。
由緒看板もだんだん文字が薄くなり読みにくくなりましたので今回作り替えることになりました。
この機会に由緒看板の分を文字データにしましたので参考までに載せさせていただきます。
○旭山稲荷金刀比羅神社畧記
旭山は初め登口右側の崖を屯田第四中隊の射朶(しゃだ)としていた
ので射的山と呼ばれていたが明治三十一年秋熊本県出身の
菊地直人大尉が第四中隊長として着任すると早々高見庄
吉軍曹や芦原伊佐男宮司等と共にこの山頂に登り四面一望
の景勝地であるところからここに神社を建て一大公園にすべし
との決意を固め大樹の幹を削って天照皇大神宮と大書した。
これが旭山開発の第一歩である。
次いで明治三十二年皇大神宮御分霊は役場前の旭川神社
に奉斎されたので明治三十六年内宮外宮の関係になぞらえ
豊受大神宮の同系神たる稲荷神社を奉斎しこれより稲荷山
と呼ばれるに至った。さらに明治四十一年社殿造営の機会に
金刀比羅宮を合祀し昭和二年旭川神社造営の時に不用に
なった旧本殿(明治二十六年造営屯田兵屋に次ぐ古建築で現在のもの)を
譲り受け昭和十一年社殿の修繕並びに社務所の新築等を
なし今日に至っているがこの間難病平癒、商売繁昌、社運
挽回等あらたかな霊験を受けた実例は数え切れない。
日露の大戦時に屯田戸主を始め若者はことごとく出征して
残るは老幼婦女子ばかりとなり寂しく留守をつとめていた。
この時誰かが山の中腹の稲荷神社に小さなカンテラ灯を献じて
戦地にある肉親の武運長久を祈り心の支えとした。それから
村中もこの灯がともらなければ心細くなり村人達は順番にこの
カンテラに油を注ぐために深い笹薮をかき分けて登っていくよう
になった。
それから百十有余年、山の様相も一変したとはいえこの神社
は今も郷土住民と深く結びついた心の灯であり、又尊い史蹟
文化財として大切に護らなければならない。
稲荷神社創祀に関する記録は旭川兵村記念館に陳列され
ている。
旭山の入口(現在の旭山動物園の登口当たり)に鳥居が建っていた時代がありました。
〈祢〉
〈祢〉